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BOOK

2005年4月

カフェ・パニック / あなたの人生の物語 / 愛はさだめ、さだめは死 / 時の娘 / 紅茶を注文する方法

『カフェ・パニック』 ロラン・トポル 小林茂・訳 創元推理文庫 1988

"CAFE PANIQUE" Roland Topor

ロラン・トポルの『カフェ・パニック』読了。 法螺話が38編収録された不思議な本です。

一編あたりが短いので、ちょっとだけ時間が空いたらまた一編というふうに読み進めていました。

何とも奇妙な絵を描く(曰く"おっそろしい絵")画家であり、作家であり、その他もろもろの活動家である作者による、これまた奇妙なストーリー。 作者が行きつけの店"カフェ・パニック"にて飲み仲間達から話を聞くという体裁をとって話は進められていきます。 登場人物達の名前も変わっていて、飲み仲間は"ぐいと飲め"。ウエイトレスは"はいただいま"。人気コメディアンは"まだまだあるぞ"などなど。

さて法螺話の内容はというと不幸が続くコメディアンに愛猫を失った女性が過ごすクリスマス。愛妻を奪われた男がとった復讐の方法。そして結末はバッド・エンドというよりはグロテスクというのが一番似合う。

一つ残念なことはこれが訳書だということ。日本語には訳せないニュアンスや、隠された意味が沢山あるのだろうけれどそれが汲み取れません。自国の言葉以外の本を読む時には誰しもがかならずぶつかる壁ですが、本書は特にそれが高く厚いように感じられます。 訳者の方もがんばってくれたようですが(訳者あとがき参照)、フランス語は一語が多重の意味を持つので、大変だったろうと思います。 原書で読みこなす能力があれば良いのでしょうが、その国の文化・風土を理解していないと笑えないジョークというのも多いので、やはり理解は難しいでしょうねえ。 これとは逆に日本語で読める幸せというのもあるので、しかたないかとは思います。

心地よく楽しい気分になれるわけではないけれど、なぜかクセになる。ブラック・ユーモア溢れる作品です。

Amazon 『カフェ・パニック』
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『あなたの人生の物語』 テッド・チャン 浅倉久志・訳 

"STORIES OF YOUR LIFE AND OTHERS" Ted Chiang

テッド・チャンの『あなたの人生の物語』を読了。 8編の作品が収録されているのだけれど、そのほとんどが中編。読みごたえがあります。

SFに分類されますが、ファンタジー色の強い作品が多い印象でした。

『バビロンの搭』はタイトルの通り伝説上のバビロンの搭を扱った作品ですが、世界の構造が我々の世界とは異なっています。 文字通り天まで届く塔を建てた人類は、神に近づき神が住むという天の謎を解こうとするのですが、そこで人が見たものは神の偉大さを知らしめるものだった。

『地獄とは神の不在なり』では天使は実存し、奇跡を起し、また自然災害のように被害与えるものとして描かれています。人々は時折天国の光を浴び、また地獄をのぞき見、それによって神への信仰を深める者もあれば信仰を失う者もある。その狭間で揺れ動く人々の葛藤を描いた作品。

『七十二文字』はやはり科学体系が異なるヴィクトリア朝時代を描いたものです。名辞が物を動かし、生命を作り得る世界で人間が直面した困難。

逆にSFらしい作品もあり特にデビュー作『理解』は特殊な治療によって現れたある副作用というよくあるテーマを扱っています。 しかし単なるありがちに陥らないのがさすがこの作者。 問題は副作用の効果よりも哲学的な問題へと転がっていくのです。優れた知能は人という存在を、世界を、全て理解し得るのか。

『顔の美醜について』はサブタイトルに「ドキュメンタリー」とあり、カーリー(美醜失人処置)を巡っての人々の証言という形で物語が構成されています。 このカーリーという処置を受けた人間は人の顔の見分けはつくものの、その見た顔が美しいかそうでないかという判断ができなくなるのです。 教育による差別廃止は限界にあり、最終的に残った人の美醜による差別を無くそうというのがこの処置を推進するグループの主張。 実際にカーリーを受けて育った子供もおり、その一人タメラが主な人物として登場します。 タメラは幼いころからカーリーを受けていたため大人になったら普通の人と同じになりたいとカーリーを外す日を(取り外しは自由。副作用もないというのが"ウリ")心待ちにしていました。しかしタメラの通う大学でカーリーの強制化の議題が上がり、それを巡って色々な人が色々な行動を取る。 人を容姿で区別することは差別なのか。美しさは麻薬であり不要であり悪であるという主張に理はあるのか。

実際にカーリーが実現したとして、試してみる人はどれぐらいいるのかな。綺麗なものを綺麗と感じられるのは幸せな事だと思うのだけれど。

そうそう、このタメラの証言を読んでいると『たったひとつの冴えたやりかた』のコーティを思い出すのだけれど、訳が同じ方(浅倉久志)だからかな。

そして全編を通して感じたのが作者の言葉へのこだわり。 『理解』では知能の発達した超人が自らの概念を表すため新しい言語創造にとりかかる。

表題『あなたの人生の物語』では言語学者が宇宙人と言葉と文字のやり取りをする過程で思考にまで影響を受ける。宇宙人の文字に関する発想は秀逸。

『ゼロで割る』は直接的な言葉ではなく数学がその役割を果たす。ある数式の矛盾に気づいた天才数学者は自分の信じる世界が壊れてしまう。

それぞれの作品のそれぞれの世界があり、またその構造が緻密。リアリティよりもその世界の正当性によりその世界が実存しうると納得してしまう。

そして読んでいる途中に感じたのはストレス。物語のもつ緊張感に耐えるのに精いっぱい。『あなたの人生の物語』は特に小説としてもかなりの読み物。テッド・チャンの魅力はその発想だけではない。彼は一級のストーリー・テラーである。

Amazon 『あなたの人生の物語』
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『愛はさだめ、さだめは死』 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア 朝倉久志、伊藤典夫・訳 ハヤカワ文庫SF 1987

"WARM WORLDS AND OTHERWISE" James Tiptree,Jr.

ティプトリーを読むと特に目につくイメージが"死"と"生殖"である。 あるものは願いを手に入れる途上で、あるものは生から逃れるために、あるものは現実と切り離されたために死んでいく。 そして新たな生。しかしティプトリーの描く生もしくは生殖は命の再生、これから続く生物の未来というものではなく、新たなる死の始まりである。そんな印象を受ける。

ティプトリーの描く生物(人には限らない)の雄はどこか悲しく、雌はどこまでもグロテスクである。 これはティプトリーが生きていく上で抱えた問題とも深くかかわるのであろうけれども、生きとし生けるものの"さだめ"をもまたよく映しているのだろう。 そしてそこから抜け出す手段としての"死"。そこには冷たさも孤独もないけれど、暖かさも救いもない。 子を残し種を伝え、そして死ぬ。すべて生物のさだめ。死さえも生というさだめに組み込まれた決まりごと。

表題『愛はさだめ、さだめは死』はそれが顕著。『男達の知らない女』や『最期の午後に』も似たテーマを扱ったものだろう。

しかしティプトリーという作家はそれだけに終わらずさまざまな作品を書く。 底抜けに明るく少し物悲しい『全ての種類のイエス』や『乙女に映しておぼろげに』。ミステリ的要素を持つ『恐竜の鼻は夜ひらく』は上品ではないけれど笑わずにはいられないオチがつく。ピンクとミドリのエビのような宇宙人(まず出会いたくない)が人に課した不思議な刑罰を描く『断層』は非常にSF"らしい"作品。これを読むとああティプトリーってSF作家だったのだなあと妙に納得してしまう。

まだティプトリーをよく知らないという方は巻頭にあるシルヴァーグの序文は後で読むことをおすすめする。 ティプトリーの仕掛けた罠に見事ひっかかるのもまた楽し。

Amazon 『愛はさだめ、さだめは死』 
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『時の娘』  ジョセフィン・テイ 小泉喜美子 ハヤカワ文庫HM 1977

"THE DAUGHTER OF TIME" Josephine Tey

時は15世紀薔薇戦争の折、甥に当たる幼い王子二人を殺して王位に就いたとされ悪名高いリチャード3世。 犯罪者の顔に勘の働くグラント警部はリチャード3世の肖像画を見てその一般的な評価にふと疑問を抱いた。 入院中の退屈を紛らわすためにと歴史を調べ始めるが、そこには王子殺害に関しての矛盾ある記述しか見つからなかった。 彼は教科書で慣れ親しんできた歴史に疑問を持ち、リチャード3世が本当に王子殺害を行ったのか、その他の彼に対する悪評は真実に基づいたものであったのかを調べ始める。

アメリカ人青年キャラダインの助けを借りて真相を追うグラント警部。 見つかったのはリチャード3世を悪し様に書く歴史書の矛盾。彼の王として、軍人としての優秀さ。敵への温情や家族へ向けた優しさ。リチャード3世は悪人どころか稀に見る名君だったのではないかとグラントは考え始めます。

そしてたどり着いた結論。 これで終われば驚愕の新事実!とありがちな小説になってしまうのですが、そこは推理作家のテイ。事実をもう一転させてしまうのです。 歴史家の書く歴史ではなく、推理小説家の書く歴史であるというところがミステリ・マニアの心をくすぐります。

時折挟まれる親身な(そしてちょっとお節介な)看護婦や警部の知人の女優マータとの会話も謀略にまみれ陰鬱な戦乱の時代から気分を明るくしてくれます。 そしてキャラダインとグラントの会話がよい。疑問をぶつけあい、調べ上げ、また問題を組み立てていく。知的好奇心が満たされる快感を味わいました。

惜しむらくは私の知識が足りないこと。リチャード3世については名前は世界史で習っているし、シェイクスピアの歴史劇のモデルになっていることも知っていますが、はっきりしたイメージを持っていません。 信じていた歴史が覆されるというスリルを味わうことが出来なかったのが残念。これはイギリス人に生まれない限り仕方がないことなのかな。

今回は背景となった歴史や人物関係(家系図複雑なのである)を把握するのに精一杯だったのですが、もう一度、また一度と読んでいくと味わい深い小説なのではないかと思いました。再読するのが楽しみです。

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『紅茶を注文する方法』 土屋賢二 文春文庫 2004

お茶の水大学哲学科の教授、土屋先生の独特のセンスが冴えるユーモア・エッセイです。

表題『紅茶を注文する方法』は、たびたび書かれる土屋先生の喫茶店の利用上の注意です。読者にはお馴染、いつも注文したものと違うものが届いてしまう土屋先生がより失敗を無くすための方法です。

こだわりの紅茶を飲む方法では無いのでご注意を。

初めて出てくる話題もちらほら。宝くじや株に興味があるというのは意外な感じがしました。フィッシュフライ弁当へのこだわりは、そこまで先生が入れ込むほどなら私もぜひ食べてみたいです。妙にクセになるものってありますよね。

妙齢の女性(=「中年女」)に対する意見が以前よりいっそう厳しくなったようですが、何かあったのでしょうか。

1番おもしろかったのはその中年女に関する『一過性の肥満』。皮肉が利きすぎています。ちょっと耳が痛いです。

いつもの気軽に読めて笑えるエッセイとしてはおもしろかったのですが、ややマンネリ気味。でもこの変わらない笑が魅力かな。

「棚をなおせ」なネタが今回は豊富で、にまっとしてしまいました。分かる方は一緒に笑ってください。分からない方は分からないままの方が幸せかも。

Amazon 『紅茶を注文する方法 』
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