"RED DAIAMOND Privete Eye" Mark Schorr
パルプ・フィクションの大ファンで、タクシー運転手のサイモン。 「サイモンは数千冊の本や雑誌を所蔵していた。(中略)彼ほど自分のコレクションを愛している人間はいないだろう。」 しかしある日、妻がそのコレクションを売り払ってしまい...。
それをきっかけに彼の人格は、サイモンの最も愛したパルプ・ヒーロー、レッド・ダイアモンドに。 レッドの敵、ロッコ・リコを倒すため、調査を開始。 とは言え、元はタクシー・ドライバー。上手くいくはずが無いと思いきや、これがなかなか。周りの勘違いを上手く利用(との自覚は無いが)して、私立探偵業を始めてしまう。
何せ自分のコレクションはそらで言えるほど覚えているので、パルプ・フィクションの中の出来事をまるで自分が体験したかのように(本人は実体験だと思い込んでいる)話すことが出来、相手の興味を引き、信頼を得てしまったり。 さらに、作品から得た知識で相手を罠にかけたり、はったりをかましてアクションでも活躍。 何故だか女性にモテテしまったり。自信を持つとこうも変わるか。 さらにさすが、元タクシー・ドライバー。道を上手く使って敵を捲く。でも、何で自分にそんな知識があるかは思い出せない。
金髪の美女を見かける度に、レッドのヒロイン、フィフィと思い込み、何か悪事を嗅ぎ取ると、ロッコの仕業だと決めつける。 これが本物のレッドならまだしも、本当はタクシー・ドライバー、サイモン。 そこを思い出すと何だかむず痒くなってくる。 いつボロを出すのかとひやひやもんなんだけど、その危うさがだんだん面白くなってくるのです。
早い話がハードボイルド小説のパロディなんです。 私はハード・ボイルド読んだことがないんですが、ハード・ボイルドの典型ってこんなイメージというのをそのままやってくれます。
最後までレッド・ダイアモンドのままのサイモン。 彼はこれからどうなるんだろう。
"Living Well Is the Best Revenge" Calvin Tomkins
絶版になっていた本書が新潮社版となって復刊しました
裏表紙に紹介されているあらすじによると、 「あのフェッツジェラルドが憧れ、『夜はやさし』のモデルにしたという画家ジェラルドとセーラのマーフィ夫妻。...中略...夫妻の華やかな交友関係を、さまざまなエピソードで綴る。1920〜1930年代の文化人たちの群像を浮き彫りにしたノンフィクションの名著...」 とのことです。
本書にはマーフィ夫妻の友人を中心に、同時代を生きた多数の著名人が登場します。 ヘミングウェイにピカソ、ジャン・コクトー、ガートルード・スタインとアリス・B・トクラスなど。 その他沢山の人物が出てきてはいますが、勉強不足のため私には誰だかわからない人もいたりして、もう少しマーフィ夫妻達が生きた時代のパリを知りたいと思いました。 もちろん、誰だかわからないからといって魅力が半減することはありませんが、知っていることで魅力はより増すと思います。
あらすじにも挙げられているフィッツジェラルドに関しての記述はあまり多くありません。しかしそれは他のほとんどの人物に関しても同じこと。登場ページは少なくとも、マーフィ夫妻との交流を通して描かれることで、まるで本人の伝記を読んだかのようにその人の様子が生き生きと伝わってきます。
嬉しかったのは、ピカソの関する記述がやや多く感じられたこと。先日も ピカソ展(幻のジャクリーヌ・コレクション) へ行ったばかりなので気になる芸術家なのです。
話はやや脱線しますが、天才といわれたピカソはやはりすごい。抽象画やキュビズムの代表作を見て、子供の落書きみたいとか自分にも書けると思う方も多いようですが、あれはピカソにしか書けないものだと思います。かくいう私も実際に見に行くまではあまりピカソの作品に魅力を感じていなかったのですが、実物の絵のもつ力に圧倒されました。興味のある方は印刷ではなく直に現物を見てみることをおすすめします。 ちなみに、ピカソはセーラ(風の女性)をモデルとした作品も何点か書いているそうです。
本書は、夫妻の「優雅な生活」についての具体的な描写はあまりありません。読んで伝わってくるのは、「優雅な生活」を送るための精神のあり方です。 その精神はジェラルドがセーラに宛てた手紙の中の一文に良く表れていると思います。 「ぼくたちはつねにおおいに楽しみながら自分たちのやりかたで物事を一つ一つすすめていくのです。ーなによりもまずいっしょに、しかしぼくたちの流儀は貫いて。」
彼らは気まぐれで容赦のない人生に対して、最高に生き生きとした人生を送ることで果敢に復讐することが出来たのか。ぜひ本書を読んで判断してみてください。
"PAPA YOU'RE CRAZY" William Saroyan
"僕"は十歳の誕生日に、"仕事"をプレゼントされた。 それは、"僕"自身についての小説を書くというもの。
父との対話、言葉遊び、小さな旅行。 それらを通して"僕"は自分とは何かという問いと、それに答える道しるべを見つけていく。
小説というよりも哲学書に近いかも。
「僕も、あなたと同じように、作家である他ないんだよ」とは"僕"が言った言葉。 人が生きるということは、自分だけの物語を綴っていくということなんですね。
北村薫の覆面作家シリーズ第1作。
姓は「覆面」名は「作家」。本名・新妻千秋。新人ミステリ作家だ。 しかしこの千秋さん、働かずとも大富豪の令嬢で生活に困ることはなし。本を出したければ自分で出版社を作れば良いというほどのお金持ちなのでした。 しかし自分で稼いだお金が欲しいと、世界社の雑誌『推理世界』に原稿を送ってきて、担当は若手編集者・岡部良介が受け持つことに。
この千秋さん、お金持ちなだけでなく、「天国的」美貌の持ち主。 その上、歌にピアノに格闘にとあらゆる才能に恵まれ、さらに探偵の資質まで持ち合わせていたのでした。
しかし千秋さんにはちょっとした秘密があって、お屋敷の中では内気でいかにもお嬢様然としているのに、外に出ると一変、「内」弁慶ならぬ「外」弁慶になってしまうのでした。お屋敷の外と内、その様子は全くの別人。
なお、編集・岡部良介には双子の兄がいて、その名も優介。 千秋さんがひとりでふたりなら、岡部家はふたりでふたり。 この設定が各話で上手く生かされている辺りはさすが北村薫という感じ。登場キャラクターそれぞれに必ず役割というのがあるのです。むだがないというか。
収録されている作品は全部で3編。軽妙なタッチで描かれる物語りですが、事件は少し切ない結末に。 一作目の事件で、被害者が加害者に(その実被害者自身に)向けた言葉は、若かった時分の(といってもまだ若いですけど〜。と言ってみる)自分に向けられているようで少し辛かった。というか、全く同じことを考えた時期があった。才能のあるなしってのは本当に残酷。この辛さはだれしも経験があることなのかも。
ところで、グランドピアノを町でふらっと買ってくる人ってどれぐらいいるもんですかねぇ。羨ましいとかそういう範囲を超えたお金持ちっぷりです。
北村薫の人気シリーズ、覆面作家第二作目。
ペンネーム・覆面作家。新人推理小説家。その正体は、本名・新妻千秋。天国的美貌の持ち主である大富豪の令嬢だ。 彼女には探偵の素質まであって、その担当・岡部良介とともに現実の事件まで解決してしまうのでした。
「歌って踊れる」編集者・静さんも登場してにぎやかになってきました。
千秋さんの内弁慶ならぬ外弁慶。その二面性と、岡部家の双子。ひとりでふたりとふたりでふたり。 この設定を最も上手く生かせているのが、本シリーズ3部作のうちでもこの2作目である本書ではないでしょうか。
自分の知らない所でもうひとりの自分が行動している。普通ならありえないけれども、双子であればありうる。正確には本人ではないけれども。事情を知らない人(双子とは知らない人)から見れば奇妙な感じでしょうね。
軽快なノリで物語りは進みますが、解き明かされた事件の結末は、現実の醜さを見せつけられるようで少し切ない。でも、きれいなだけでは済まない世の中で、それでも心の温かさを大切にしている主人公達に、読んでいるこちらも励まされます。
「俗界の基準を超えた、天国的美貌の持ち主」である千秋さんは、大富豪の令嬢にして、新人推理作家。 さらには担当の若手編集者・岡部良介と共に現実の事件まで解決してしまう探偵でもあった。
なお、天国的とは本文中には「シューベルトの何とかという交響曲について誰かがいった言葉だそうだ」とありますが、たしかシューマンがシューベルトの交響曲「ザ・グレイト」を「天国的な長さ」と評したのがもとだったと思います。
三つの短編が収められているが、特に「覆面作家、目白を呼ぶ」のトリックと推理はスマートでよかった。 ネタバレになるので詳しく書けないのが辛い所ですが、私の身内にも被害者と同じ経験をしていて、私自身それを目の前で見ていたもんで、その恐怖はよくわかりましたわ。
さてさて、本作で覆面作家も最終卷。 お屋敷でも外でもない千秋さんに出会える「夢の家」とは?この謎には、とっても素敵な解答が用意されています。
機械たちの時間と、人間の時間の方向は違うのだそうだ。
場所は地球長岡市。時は1976年。 未来の記憶を持つ邑谷武は共に火星で戦った中条からパソコンを通して連絡を受ける。
最初は主人公の置かれている状況がよくわからないところから始まる。 徐々に主人公・邑谷は火星にいた事、過去の地球に飛ばされてきた事。それには火星での敵である無機生命体”マグザッド”が関係する事などがわかってくる。そして邑谷はその「マグザッドと闘うため、戦術情報プロセッサチップを脳に組み込まれたハイブリッドー・ソルジャー」であるという事も。
過去に飛ばされた火星の仲間は数人いるようだけれども、同じ時代・同じ場所に飛ばされたというわけではないらしい。一緒に火星へ戻るべく、連絡の取れた中条に会うため、行動を開始するも、やっと辿り着いた中条の家には死体があるのみ。その死体はやはり中条のものらしい。ものらしいというのは、首がなくて確認が取れなかったからだ。中条からのメッセージを受け取り、中条の恋人に会いに行くが、戻った中条の家にはすでに死体はなかった。誰が殺して誰が持ち去ったのか。推理小説的謎が提示されます。
敵であるマグザッドの正体もわからないまま、数々の妨害工作を受けたり、とスリルが続く展開です。
左脳は過去を覚え、右脳は未来を記憶する。 そして機械たちの時間は人とは異にする流れを持つ。 どうやらこの理論が、火星へ戻るためのキィらしい。
神林長平の作品は他にも読んでいますが、本作は他の作品とは文体が違ってやや戸惑いました。 主人公・邑谷の一人称で進むため、その性格が表れてかハードボイルド調。いやハードボイルドはほとんど読んだことないんですけど、そんなイメージです。慣れればテンポよく読みやすい文章です。